日々のまとめ

色々あって、鬱になったり全てを病気のせいにして逃げたりする、人として終わってしまった真正クズ人間です。

修士進学について

今回は現在2年で絶賛就活中の修士に行った人間として少しの感想を残し、ついでに修士/博士進学に向かない人間について述べておこうと思う。

まず、学士と修士の違いとしてはその目的にあると考えている。

私が思うに、学士での目的は大きく一つ、高校までの受け身の学びから脱却し、能動的な学びへの入り口を見つけることである。
高校までは教員に出された宿題をやり、テストを受け、大学に行くべきと言われてテストのための受験勉強をし、晴れて合格すれば大学へ進学する。

しかし、大学からは違う。
日本ではまだ多くの人間が院進学をせず就職するため、それを前提に話すが、大学からの学びとは今までのようなテストを目的とした学びではない。
高校までの目的のような、進学を目的とした学びではない。
学びだけでは就職には繋がらず、就活で優遇されるのは学外での活躍やITであれば自分自身のポートフォリオのようなものになる。
では、何のために大学での学びがあるかと問われると、それは自分自身のため、究極的には自分自身が学びたい、探求したいと思えるものの入り口を探すのが大学学部での学びであると思っている。

そして、修士との決定的な違いとしては、その自分が学びたい分野に対してどれだけ時間がかけられるか、という部分にあると私は考える。
あくまで学部までは入り口探しのため、いくら早く自分の学びたい分野が見つかったとしても、進級のための単位取得のために別の分野の学びも必要になる。
しかし、修士からはそういった他方面の学びは減り、生きている時間の殆どを学びたい、探求したい分野に使うことができる。

ここが修士と学士の大きな差であると私は考えている。


ここからは、修士へ向かないと考える人間について述べる。苦手な方はブラウザバックを推奨する。









まず始めに、私は修士へ進学して後悔した。

後悔した理由としては、自分の精神にある。
また、それら全てが修士に向かない理由であると考えるため、その理由を3つ、以下に述べる。

まず、一番大きく感じたものとして、私自身どうしても絶対的な自分自身の評価ができない。
他者との比較をもって相対的な評価しかできないのだ。
その為、いくら難しいタスクであるとはいえ、それの進みが遅いとどうしても進みの早い他人と比べて劣っているように感じてしまう。
その為、院の最初の一年間のうち半年を躁鬱でドブに捨ててしまった。
この時点で、時間にしても半年、金額にしてもおよそ50万程度無駄になっているのだ。後悔しないわけはない。
故に、絶対評価を行うことが出来ないのであれば、その人間は基本的に修士には向かないのではないかと考えるようになった。


次に、目標を高くしすぎた部分がある。
そもそも自分の能力を過信し、どれだけ高い山でも登ることができると勘違いしており、目標を達成できない自分に呆れ、馬鹿だと考えてしまい、それでまた精神を病むことが多々ある。
故に、自己を正しく認識できず、夢見がちな人間は修士に向いていない。


最後に、自分に甘い人間であることが挙げられる。
私自身、今までは全くこんなことは無かったのだが、修士に入ってからは自分にかなり甘くなってしまった自覚がある。
先にも述べた通り、修士では自分自身の探求のために多くの時間を確保できる。
しかし、逆を言えばその多くの時間は自分で管理し、研究のために使う時間である。
これを勘違いして研究以外に使おうものなら、成果など出るわけがないのだ。
研究とは、学問の探求とは、一朝一夕で為せる物ではなく、日々の積み重ねと、長い時間を賭けることで為すものである。
故に、自分を律し、正しく行動し、日々の努力を怠らない人間でなくては、まずやっていくことができないのが修士である。


ここまで書いたが、最後に感想として、後悔している私が、進学か就職か悩んでいたあの頃の自分に修士に入るのをやめさせるかと聞かれたら、それはやめさせないだろう。
他人に対してはやめたほうがいいと助言をするかもしれない。
しかし、いくら他人より進捗がなくとも、いくら自分が夢見がちな人間でも、いくら自分に甘くとも、今の私がいくら後悔していても、やめさせることはない。
それくらいには修士でいること、探求したいものを突き詰められること、学びたいものにだけ目を向けられることというのが、私にとっては魅力的なのである。


これから修士に入るか悩む人もいると思う。
そういった人たちがこの記事を見たら入るのをやめてしまうかもしれない。
それはそれでその人の道なのだと思う。
しかし、この記事を読んで、私は向いていないのだと思ったとしても、向いていないからと言ってそれが正しい道であるとは限らない。
後悔しようと、楽しい、正しくなくとも、魅力的な道が修士である可能性はある。

いくら後悔しても辛い思いをしても探求をしたい。学びをやめたくない人間は修士に進学することを進める。


もちろん、それで病んで自殺しても、中退してお金をドブに捨てても保証はしないけどね。

ちなみに私は博士は行かないかな。私なんかが言ったら本当に自殺しかねないから。

就職と心を乱す要因

就職したくない。
したくなさがすごい。
一番行きたかった企業の最終面接で落ちてしまい、正直就活をやる気がしない。

金銭に関して言えば学生の状態でも月に15は稼げる人間であるため、節約すれば生きていける。
生活レベルにあまり高望みもしない。

それでも日本では就活をしなければならないという。
職についていなければ真っ当な大人ではないと言われる。
どうにも息苦しい。生きているのはしんどい。

しんどいといえば、私には彼女が一人だけいるが、ただ一人の彼女は就職をしろと言う割に、就活をする時間に私に構えと行ってくる。
駄々はこねるし、心を乱すような煽り言葉を投げて来る。
そんな彼女に対して会話がしたくないと言えば、何故か泣き始め、その癖に自分が変わることは拒否する。
会話をしたらしたで、私の対応によって不機嫌になりまた文句を垂れる。
かと言って私が失敗したり、落ち込んだときにも私を慰めるわけでもなく、自分が慰めてほしい話だけを延々と聞かされる。
金を使うことを要求しなければそれはいい彼女であるのか?それ以外は何もしなくて良いのか?相手を気遣い、我慢するところをしないで何故人と生きていけると思っている?

研究というものに対して理解もないのに、私の院で"成果がなくて評価されてない"という話をやたら出してくる。
私は何度も、私のやっている研究とはこういうもので、私の地頭がそこまで無く、知見はない為一年は知識の蓄積と再現をメインで進めていた話をしても、何一つ理解などしない。
長い話は聞かない、などとのたまうのだ。

最近では、なぜ私はこのような女性と付き合っているのか、ほとほと分からなくなるときがよくある。

どうにも私の周りには、心を乱す物が多い。

投資とお金と友人

結構昔に知り合いからmining expressの話題を出され、誘われたことがあった。

https://mining-express.me/

結論から、この半ネズミ講のようなシステムで、狭いドメインのローカルなコインが報酬になっているこのシステムをやりたいとは全く思わなかったし、実際にやることもなかった。
ただ、その知人は個人的に懇意に接していた人物なため、私はできることならこの投資に参加している知人を止めたかった。

しかし、当然この投資を信じている彼はやめたいと思うわけもなかった。

実際、彼は心の底から信じてこの投資をやっていたわけだし、善意でそれをこちらに勧めてくれていたため、やはり私の言葉は彼の気分を害してしまった。

その投資を心の底から信用している相手に、やめようといったところで無駄で、やめるには自分から気づいて抜け出すか、大負けに負けるしかない。
もちろん、この投資が真っ当なもので、彼の利益が得られるのであれば何も文句はない。
ただ、もし失敗してしまった場合、私の行動によって、彼は失敗を避けられず、私との仲も無くなり、いいことは何もなく終わってしまう。
また、かなりの友人に話を持ちかけているらしく、その友人達から断られ、浅い友人の場合縁を切られているのが容易に想像できてしまう。

あの時なんと言えばやめてもらえたのだろうか、どう対応すれば正しかったのか、私も入るくらいのほうが良かったのではないか、そんなことを考え、私はただ、彼の投資が成功することを願っている。

現実に戻る

しばらく実家に帰って色々考えていた。
就職のこととか、今後についてとか。

でもなんだかんだ言って、そんな考えていたことより親の様子を見ていられたのが最も嬉しかった。
この年になると、祖父母が死に始めどうしても親の死期やら認知症やらが気になり始める。
きっと就職したらあまり会いに来ることもできなくなって、寂しい思いをさせてしまうのではないかと思えてしまうので、今回たくさんの時間を共にできたのは本当に嬉しかったし、良かったと思っている。
昔あんなに母親も父親も弟もみんな嫌いだったのに、年を取ると嫌いだった理由も忘れたりどうでも良くなって何も考えず幸せにコミュニケーションをとることができる。
本当にこの2ヶ月は幸せで、現実の辛いことや忘れたいことを全て気にせずにいられた。
親とたくさんいることができて、あのとき言えなかったことや分かり会えなかったことを話すことができて、本当に幸せだった。

しかし私はもう大人になり、自分の生活がある。
現実に戻らなくてはならないタイミングというのはやってくる。
いくら辛くとも、悲しくとも、親が心配であろうと鬱であろうと現実は私を逃がすことはない。

親の元を振り返らずに、私は辛い世界へまた戻る。
母や父を心配させないために、私が人生を為すために、冷たい世界で生きていく他ないのだ。

携帯を変える話

そろそろ携帯を変えようかと思ってる。

XiaomiのRedmi 9T。安くない?

これでうまく行ったらもう販売店で煩わしい手続きしなくて済むので、なんとか成功してほしい。

あとはグラボ買わなきゃ。
3070か3080か…どちらにせよ分割。

何もしていない

題通り。
しばらく何もしていない。

我ながら非常にマズイと思うがどうにも体が動かない。
やる気はあるけど実行できない。
実行できないことでまた苦しくなり何もできなくなる。
負のループ。

何を言おうと、結局は人間性がクズなだけなのだが。

書類選考何社か通ってたので、メールをしなければならないが、放置していたら落ちそうだ。
企業に申し訳ないし、何かが怖い。

プラチナエンド最終巻とデスノート短編集

先日、特に用事はないが本屋に行ったら、どちらも最後の一冊で残っていたので買った&読んだ。その感想。

あっさり一行だけでネタバレします。

  • PE

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表紙。
プラチナエンドは全巻キラキラしてて好きだったのですが、中古で買うと値段シール剥がしたときキラキラが剥がれるらしいですね。泣いちゃう。
内容は最後の神決定戦では結局誰も死なず、中海が神になって自殺することで神候補者非候補者問わず、人間が全員死んで世界崩壊で終わりでした。
個人的には死(身体に限らず、脳、精神の死)が存在することで、人は死に怯え、そこに寄っていく事象が不幸、死から遠ざかる事象が幸福だと考えており、その幸福と不幸の積み重ねを無にできるのが死だと考えています。
その為、バッドエンドだなんだという話に関しては、不幸の積み重なってしまっている飢餓の子どもたちや、幸福の積み重なっている裕福な人たちを等しく無に返したので、そこには幸福も不幸も存在しない、ハッピーでもバッドでもないどちらにも属さない終わり方だと個人的には考えます。
不幸だけなくすことのできる、不幸徳政令的な事象があれば、これはバッドになり得ると考えますが、そうでない限りなにもないように感じました。
また、神より上位の存在だか死ねない存在だかに関しては知りません。考察する気も特にないです。
ちなみに咲ちゃんが芋食ってたり芋でインタビューするところが死ぬほど可愛いです。

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こういういっぱい食べる女の子が一番可愛いですね。

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表紙。
一応デスノートの単行本に関しては全巻揃えてあるのですが、Lとワタリの話だけ見たことが無かったです。何に載ってたんですかね?
こっちは特に言うこともないですが、強いて言うならミサミサが可愛いです。